【意識して変えよう】心に余裕がなくなっている人がしている無意識の行動パターン3選!

子どもを連れて電車に乗っただけで舌打ちされた…

こんにちは、かばです。
コロナ禍となってからというもの、マスク警察や芸能人への誹謗中傷など、他人へ攻撃する人が増えています。
本来であれば大したことではないことでも、イライラして他人に当たってしまうのでしょうか。
バブルが崩壊してからというもの、日本は長年不景気に悩まされ、災害も相次ぎ、就職難や低賃金など、様々な問題を抱えています。
日本が幸福満足度で世界的にも低水準である理由も分かるような気がします。
今回は、コロナ禍で特に心に余裕がなくなってしまっている人について、陥ってはならない無意識の行動パターンを紹介していこうと思います。

  • 心に余裕がなくなってしまっている人の行動
  • 心に余裕がなくなってしまうと起こる悪影響
  • 心に余裕を持つためにどうすればいいか?

本日は上記3点を中心にお話していきます。

 

心に余裕がなくなってしまっている人の行動パターン

情報をコントロールしない

現代は、昔に比べてはるかに情報の量が増えています。
ネットやテレビのない時代にも、新聞などはありましたが基本的には身の回りで起こる出来事しか情報として入手することはできませんでした。
情報を入手するための時間も現代よりはるかに短時間で済みますから、余った時間は自己研鑽やゆとりの時間として使っていたのではないかと思います。
さて、では現代においてネットやテレビなどで流れてくる情報というのは、本当に受け取るべきものなのでしょうか?

  • ワイドショーやニュース(ネットニュース含む)は、自分に関係があるのか?
  • その情報は自分をどのような気持ちにするのか?

この2点を検討した時に、多くの情報は受け取るに値しないものだと考えられます。

 

自分との関係性

確かに、新型コロナに関する情報は重要なものかもしれません。
しかし、言い方は悪いかもしれませんが、地方に住んでいれば東京の新規感染者数は不要な情報です。
その人数を知ったところで、私たちの生活に何の影響もありませんからね。
むしろ、私たちの周辺に感染者が出たのかどうかの方が重要です。
また、住んでいる市町村で殺人事件が発生したというニュースに触れたとしても、犯人が捕まっているのであれば特に警戒する必要もないわけです。
起こるか起こらないかわからないリスクのために、精神衛生を悪化させるのはコスト的にも合いません。

 

精神に対する影響

ワイドショーやニュース類は、視聴者数や再生数を回す必要があります。
ですから、注目されるようなタイトルを付けて、不安を煽るような内容で発信します。
例えば、台風の接近などの場合には、台風のデータからどのような被害が予想されるかというのを発信するのであれば、被害を最小限に抑えるための対策を講じられるというメリットがあります。
しかし、コロナ禍における感染リスクを過度に煽るような情報に関しては、感染への対策を万全にしていればそれ以上対策のしようもなく、情報としての価値は無いと思われます。
人間は、自分と関係のないところにある不幸な情報でも、その情報に触れることでストレスを感じ疲労を感じることになります。
これを共感疲労といいます。
ネガティブなテレビやニュースに共感してしまい、自らもストレスを感じ疲労を感じてしまうわけです。

私は、以前テレビが映らなくなってからテレビを全く見ていません。
無意識のうちに、テレビがあることが当たり前で、テレビがないというのは生活インフラが整っていないという認識に陥っていました。
ところが実際には、テレビが無くなったことでネガティブな情報をシャットアウトすることに成功し、コロナ禍でありながらも精神衛生上は以前よりも向上したように感じます。

 

完璧主義に陥っている

プライベートでも仕事でも、隙無く行きていくことは素晴らしいと思う一方で、心に遊びが無くなってしまい疲れる生き方です。
完璧にしなければならない時というのは、仕事をしていく上ではよくあることです。
ところが、完璧主義を過度に自身に押し付けてしまうと、完璧でなくなった途端に心が折れてしまうことがあります。
失敗をしたときの自分を受け入れられなくなり、前に進めなくなります。
また、完璧主義の弊害としては、なにか物事を始める前に、完璧な体制を整えなければならないと思ってしまいます。
例えば、ブログを書き始めようとする際に、どこのサーバーを使うのがベストなのか、WordPressのどのテーマを使うのがベストなのか、記事を書く前にアイコンやヘッダー画像をハイクオリティなものにしようとかです。
どんな分野でもそうですが、最初から完璧な人はいないのです。
最初は誰しもが失敗を繰り返し、修正、挑戦を重ねて、高いクオリティの仕事ができるようになるのです。

ところが、このことを忘れてしまうと、

  • 自分はこうあるべきと決めつけ他人の意見を受け入れない
  • 他人にも自分と同じような完璧を求め失敗を許さない

という振る舞いをしてしまいます。
失敗を許さないというのは、周囲の人にだけではありません。
政治や大企業などの失敗、不祥事に対しても極度に攻撃的になってしまいます。
このように、完璧主義に陥ると、自分のものさしでしか物事を測れず、視野が極端に狭くなっていきます。

 

他人のことを想像し理解しようとしない

人間は誰しも自分が一番大事だというのは当然のことです。
物事は自分の経験や知識、技術などを基準に、その大小を決めていくことが普通だと思います。
ただ、例えば「自分にとってはしんどくない仕事なので、誰がやってもしんどくないだろう」という考えは正しいでしょうか?
そして、「そのしんどくないはずの仕事をしんどいと言っている人は、きっとサボっているのだろう」と判断をすることが正しいのでしょうか?
当然ながら、正しいはずはありません。
しかし、実際に心に余裕が無くなっている人は、このような考え方をする人が多いのです。
現在、コロナ禍でマスクをしなければならない、人が集まってはならない、旅行に行ったり外食をすることは許されない、という風潮があります。
この風潮というのは、そのように考える人が多いという意味で、人々の心のあり方を指します。
確かに、感染拡大防止という観点では客観的には望ましくない行動かもしれません。
ただ、中には、マスクができない人や集まらざるを得ない状況だとか、実は旅行ではなく遠出をしなければならない状況とか、様々な事情を抱えた人たちがいます。
それを、「自分は守っているんだから、どんな事情であれ国民全員守るべきだろう」と、自分を基準を相手に問答無用で押し付ける全体主義的な風潮が生まれているわけです。
このような全体主義は、戦時中の「欲しがりません勝つまでは」の精神に似てしまっています。

 

心に余裕がなくなると生じる悪影響

心に余裕がなくなっている人の物の考え方は割と単純です。
基本的には「自分」か「他人」しか存在しなくなります。
そして自分が優れており、他人が劣っている、優れている人は裏があるんだと断じてしまいます。
このように、自分より劣っていると他人を攻撃することで、自分の存在意義を出すわけです。
しかし、これは分断が生じてしまいかねません。

[実際の例]

  • 戦時中の日本において戦争礼賛派は反対派を弾圧
  • ドイツ国民はナチス党を支持してユダヤ人を迫害
  • トランプ元大統領はアメリカ・ファーストを掲げそれ以外を排除

いずれも、国民に心の余裕がなくなる状況下に支持された政治のあり方でした。
身近な例で言えば、最初にあった「電車に赤ちゃんを連れて乗ったら舌打ちされた」というような場合です。
舌打ちした人は「邪魔だから電車に赤ん坊を連れてくるな」と言いたいんでしょう。
なぜ「邪魔」だと思うのでしょうか?
それは、子どもに電車の中で騒がれたら、自分の環境が脅かされると考えているからです。
すなわち、その人にとって、子どもは「敵」と判断しているわけです。
子どもは泣きますし、大人しくしません。
そのような子どもを電車に連れ込む親に対しても、「敵」と判断するわけです。
自分以外の他人を「受け入れる」というのは、実は大変なことなのです。
それをもはやできなくなってしまっているほど、その人は精神的に疲れているのだと言えるでしょう。
そして、そのように落ち着いて物事を観察し、分析・判断ができなくなっているわけですから、仕事においても落ち着いて問題を熟考し、正しい判断ができなくなっています。
仕事で結果も出せず、上司や同僚に迷惑をかけることで、さらに鬱憤を溜め、自分より劣った人間をなじり、あるいは自分より優れた人間を貶め、自分より弱い人間ですら敵としか認識しなくなるのですね。

 

お父さん
お父さん

大人が子どもを敵と認識しないといけないほど弱っているんだと思うと、少し可哀想な気もしてきます

 

心に余裕がなくなった場合の改善方法は?

まずは、情報をシャットアウトしよう

やはり、健全な精神で生活するには情報を正しくコントロールすることでしょう。
テレビやネットニュースは不要なので、見ないように努力したいところですが、心に余裕が無くなってしまっているとそれらに依存している可能性があります。
したがって、物理的に見えないようにすることが大事です。
テレビのアンテナを切ってしまったり、ニュースアプリを削除するなど、情報に触れられないような環境に身を置くことでコントロールできます。
「情報シャットアウトすると不便」と感じそうですが、実際は何ら影響無いものです。
本当に必要な情報であれば、自然と耳には入ってくるものですし、自分で調べに行けば済みます。
肝心なのは、本来は求めてもいない不要な情報を、メディアの都合で受け取らされている状態をなくすことです。
そうすることで、精神的にも時間的にも、自分自身のために使えるリソースが増えていきます。

 

完璧の8割で良しとする

学校の成績などでも言われた経験があるかと思いますが、テストの点が30点だった場合に80点まで上がるように勉強することは比較的簡単です。
ところが、すでに80点を出している科目を100点にすることはかなり困難です。
このように、100%と求めるとそれまでの苦労よりもはるかに労力がかかるものです。
それよりは、80点出せているものはそのまま維持して、自分に足りないもの、自分に今後役に立ちそうなもの
一つ一つ引き出し、それらを80点に引き上げるほうが少ない労力で多くのリターンを得られます。
心の豊かさや経済的な豊かさを得るためにも、100点にこだわるより1つでも多くのものを80点に引き上げることの方が、役に立つと考えられます。
裾野を広げて知見を広めていくことで、それまでに経験したことのない様々な世界を見ることになります。
それがきっかけで人生の幅は広がりますし、選択肢を増やすことにつながっていきます。

 

自分自身を振り返ろう

自分にとっては、自分の人生こそが最も重要なはずです。
人生とは時間です。
大切な時間を、無意味な情報を摂取したり、そのことで時間の使い方が悪くなったりしては大損害です。
誰もが言うように、時間というのはお金と違って取り戻すことのできない限りある資源です。
時間を無駄なことに使ってしまうぐらいなら、大切な家族や友人と過ごしたり、自分自身のために使うべきでしょう。
自分の人生を振り返り、これからの人生をどう行きていくのかをゆっくり考える時間があっても無駄にはなりません。
一般では、毎日瞑想を3分するだけでもQOL(Quality Of Life:人生の質)を上げていくのに役に立つと言われています。
頭の中に溜まった雑多な情報や考えを一度すべて取り払って、静かな気持ちで自分自身と向き合うことです。
そうするだけでも、心に余裕は生まれてきますし、それだけでなく人生の使い方も質が向上します。

 

まとめ

今回は、心に余裕のない人が無意識にやってしまっている行動について記事にしました。
心の余裕というのは、「外からもたらされるもの」ではなく、「自分で作っていくもの」ということですね。
現代は意識をしなくても心のリソースを使ってしまうような出来事やツールで溢れています。
それらから自分を守っていくためにか、敢えて意識をして行動をコントロールしないといけません。
自分の心に向き合うために、日記やブログを書くことも有効ですね。
コロナ禍に限らず、変化の激しい現代社会で健全に生きていくためにも、自分の心の状態を常に把握して、疲れてきたなと思ったら迷わず休みましょう。

ではまた!

 

 

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