こんにちは、かばです。
2021年になった今でも、事件経過がすぐさまニュースになっている池袋暴走事故は、本当に痛ましいものです。
私も、妻と娘を持つ者として、遺族のことを考えると胸が痛くなります。
マスコミでは、怒りを煽るような報道が多く、現実が報じられていないように感じました。
今回は、この事件について、法的な観点から分かりやすく解説していきます。
- 池袋暴走事故についての概要
- なぜ犯人が逮捕されなかった
- 「上級国民」と揶揄される原因
- 今後の裁判について
概要
まずは、大まかに事件の概要をみていきましょう。
2019年(平成31年)4月19日東池袋四丁目で、自動車が暴走して多重衝突事故を引き起こした
乗用車は赤信号を無視して交差点内の横断歩道に突っ込むなどして、母子2人(女性A(当時31歳)とAの長女B(当時3歳))が死亡し、乗用車を運転していた男性を含む10人が負傷した。引用:Wikipedia
まとめると以下の通りになります。
- 乗用車を運転していた男性I(当時88歳)は、車で交差点に赤信号で進入
- 横断歩道に突っ込み、死亡した母子2名を含む9名を死傷させた
この事故を起こす前に、Iは、
- 医師からアルツハイマーと診断され車の運転は避けるよう言われていた
- 事故直前、100kmを超える速度で走行し、縁石等に衝突を繰り返していた
ということです。
逮捕されなかったのはなぜか
そもそも逮捕は簡単にはできない
Iは事故直後に駆けつけた警察により、逮捕をされていません。
なぜ逮捕をされなかったのかを説明する前に、逮捕(現行犯逮捕を含む)について解説します。
逮捕をするためには、以下の要件(条件のようなもの)が必要です。
- 逮捕の理由:その人がどうやら犯罪(一般人ではなく裁判官が有罪にするだろう)を犯しただろうと思われる理由がある
- 逮捕の必要:逃亡のおそれ[身柄を拘束しないと逃げられる可能性]と、証拠隠滅のおそれ[身柄を拘束しておかないと証拠隠滅をされる可能性]がある
※「逮捕の必要」は、逃亡または証拠隠滅のどちらかがあればよい
警察が取り調べをするために逮捕をしていると思われがちですが、実は違います。
犯罪というのは、裁判で有罪と判断されて初めて成立します。
それまでは、あくまで犯罪をした疑いがある者(「被疑者」といいます)でしかありません。
なぜなら、犯罪というのは法律判断だからです。
日本で法律判断ができるのは、裁判所だけなのです。
弁護士や検察官、ましてや警察官などは、「犯罪をしたんじゃないの?」と言うだけにとどまります。
被疑者が犯罪をしたのかどうか裁判官に判断してもらわないといけませんが、そのためには、
- 本人の身柄
- 判断するための材料(証拠)
が必要になるわけです。
本人がいなくても理論上は証拠だけで有罪にすることもできます。
しかし、日本の裁判制度では、本人の言い分も加味して判断しないといけないし、仮に有罪となっても本人がいなければあまり意味がありませんので、原則として本人の身柄が必要になるわけですね。
あくまで、逮捕の理由や逮捕の必要は、適切な裁判を行うのに必要であるかどうか、という点で判断されます。
警察が取り調べをする必要があるというのは、逮捕の理由や逮捕の必要にはなりません。
今回の事件にあてはめる
一般的に、車を暴走させて歩行者を死傷させた場合には、通常は現行犯逮捕されます。
では、なぜ今回の事件では逮捕されなかったのでしょうか?
逮捕の理由については、当然あるということは分かります。
問題なのは、逮捕の必要が無かったという点です。
- 骨折をしていたので逃走できない[逃亡のおそれがない]
- 車とドラレコを押収していたので証拠は確保できた[証拠隠滅のおそれがない]
退院後は逃亡の可能性があるんじゃないの?という点は、
- Iが事件捜査に協力するとの要請に応じていた
ということで、警視庁は逮捕を見送りました。
まとめると、
- 逮捕の理由[犯罪の疑い]:車を暴走させて歩行者を死傷 → ○
- 逮捕の必要[逃亡のおそれ・入院時]:骨折していた → ×
- 逮捕の必要[逃亡のおそれ・退院後]:捜査協力に応じると言った → ×
- 逮捕の必要[証拠隠滅のおそれ]:車とドラレコ確保済み → ×
となります。
したがって、警視庁としては、逮捕の必要がないという理由で、逮捕しなかったと判断しています。
この事件の問題点
上級国民と揶揄された経緯
この事件は、Iが元官僚だったことを「上級国民」と揶揄して、逮捕から逃れたとの噂が流布されました。
なぜこのような噂が立ったかというと、
- 元官僚だったから
- 通常なら逮捕される犯行なのに逮捕されなかったから
- マスコミが容疑者と呼ばず前職の役職名で呼んだから
が理由となります。
このうち、元官僚だったことが事件に何らかの影響を与えたかと言うと、恐らくその程度の役職であれば何ら影響は無かっただろうと思います。
実際に、ロッキード事件では、内閣総理大臣であった田中角栄も逮捕され容疑者となったわけですから、この程度の元官僚であれば、余裕で逮捕されて容疑者となります。
逮捕されなかったのは判断ミスの可能性がある
これに関しては、私の見解ではあります。
退院後の逃亡のおそれに関して、警視庁は「捜査協力の要請に応じてくれた」から、逮捕の必要がないと判断していますが、本当にそうでしょうか?
事故当時、Iは医者からアルツハイマーの症状が出ているので車の運転は避けるように、と診断されていました。
Iはその診断を受けていながら、正しい判断ができずに車を運転して事故を起こしたわけです。
アルツハイマー型認知症の主な症状は下記の通りです。
- 物忘れなどの記憶障害
- 時間や場所や人物の認識がうまくできなくなる見当識障害
- ものごとを計画立てて順にこなすことが困難になる実行機能障害
- 更衣や道具の使い方がわからなくなる失行
- 計算や言葉の能力の低下
引用:LIFULL介護
実際に、アルツハイマー型認知症の高齢者と話をすれば分かりますが、このタイプの認知症高齢者の発言はほとんど当てにならない場合が多いです。
聞いたこと、話したこと、動作の順序や道順、何の話をしているのかなど、意味を理解できていないし覚えていないという症状です。
Iは、医師から「車の運転を避けなければならないほど、場所や人物の認識ができておらず、車の操作を正しい順序で行うことが困難」だと診断されているわけです。
とすると、Iのアルツハイマー症状はかなり進行していると言えるでしょう。
にもかかわらず、警視庁は、そのようなIの「捜査に協力する」という言葉を信じ、逮捕を見送っています。
介護の仕事をしている私からすれば、「認知症が進行している人の言葉を警察が鵜呑みにしてどうするんだ」という気持ちです。
その点では、警視庁は「そのようにIが話したから」と形式的に判断してしまっているところが、形式主義から抜け出せない役所仕事の表れなんだろうなと考えてしまいます。
マスコミの対応もずさん
マスコミが事件当時、Iを容疑者として呼ばなかったことも「上級国民だから逮捕されなかった」と憶測を生む原因となっています。
新聞社の対応としては、
- 読売新聞:警視庁による事情聴取が行われておらず、刑事手続きに入っていない点を考慮して実名+肩書呼称で報道した
- 西日本新聞:逮捕前は敬称や肩書を付けるという明確なルールによるもの
として、容疑者とは呼びませんでした。
なぜこのような対応となったのでしょうか?
そもそも「容疑者」というのは、「被疑者が被害者に文字が似ている」ということで使われているだけで、意味は被疑者と同じです。
それに、逮捕はされていないけれど証拠物を押収しているのであれば、刑事手続には入っているわけです。
逮捕など身柄拘束が生じた時点で容疑者とする上記2紙の主張は、京アニ放火殺人事件の犯人Oを即日容疑者と報道したこととの整合性が取れませんよね。
百歩譲っても、このような事故を起こしておいて逮捕をされない特殊な状況の犯人を、前職の肩書付きで名前を報道すれば批判が多く集まることは予想できたはずです。
結果的には、国民の関心を集めるという点では成功したのかもしれませんが、マスコミは報道機関として正しい対応ができていたのかは甚だ疑問です。
今後の裁判について
長くなってしまいますので、今回は刑事裁判のみを考えていきます(民事裁判は機会があれば…)
危険運転致死傷罪
まずは、重い方の罪であるこちらを検討してみます。
今回、危険運転致死傷罪を考えるなら、「(車の)進行を制御する技能を有しない」状態でなければなりません。
「進行を制御する技能を有しない」とは、ハンドルブレーキなどの運転装置を操作する初歩的な技能すら有しないような、運転の技量がきわめて未熟なことをいう
引用:判例
Iは、たしかに認知症状を発症し、下肢筋肉も弱っていましたが、池袋の交差点に差し掛かるまでは通常通り運転していたわけですから、運転技術がきわめて未熟ということも言えません。
なので、こちらの罪には当たらないといえます。
自動車運転過失致死傷罪
では、こちらはどうでしょうか?
第五条 自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、七年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。
こちらは問題なく当たると考えられます。
アルツハイマー症状の診断を受けていましたし、下肢筋肉も弱っていたことは、適切な運転を期待することができない状況だと思われますし、やはり何と言っても90歳を目前にした高齢者だったわけです。
このような状態では、Iは「運転上必要な注意」を持ち合わせていないと言えるでしょう。
問題は、刑事裁判で常に論争が起こる「責任能力の有無」ということになります。
残念ながら、現行の刑法では、責任能力が無ければ無罪という結果にならざるを得ません。
今回も争点にはなるでしょうが、私は責任能力はあると考えています。
事故を起こしたIは、アルツハイマーの症状がありましたが、事故直後に親族に相談しており、どうすればよいかを相談しています。
恐らく、自分はどうすればいいのか分からないということを認識し、正しく対応してくれるであろう親族を理解して判断できているので、責任能力が無いということはないでしょう。
まとめ
池袋暴走事故は、高齢者の運転に対する大きな警鐘となりました。
この後、多くの高齢者が運転免許証を返納したということもあり、一定の効果はあったように思います。
しかし、尊い母子の生命を犠牲にしなければ、高齢者の運転を止められないという行政システムにも大きな問題があると思います。
Iは今後も刑事裁判の公判が係争していくでしょうから、同様の結論となるのかは注目していきたいと思います。
いずれにしても、残された遺族のことをわが身に置き換えてみると、発狂して最悪の行動に出かねないと共感しているのは私だけではないと思います。
「こんな事故が二度と起きないように」と言いますが、「そのたった一度の事故」がわが身に降り掛かったなら、と思うと本当に辛いですね。
ちょっと今回は難しくて専門的なお話となりましたが、法律家の頭の中はこうやって動いてるんだと知っていただければいいかなと思います。
それでは!
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